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掲載日 2008-10-30

タイトル 人は変われるのか?運命・宿命って信じますか?

内容 最近殺伐としたニュースばかり目にし、耳にする毎日です。
家族の間でのいさかいから凶行に走ったり、何の関係もない人への通り魔犯罪など・・・凶悪事件は後を絶ちませんね。
 さてさて、人間とはかくも不思議な生き物であるのかとますます不可解に思えて仕方ありません。あるテレビで人間の運命・宿命についての言葉遊びをやっていた時にふと考えました。
 有史以来数々の偉人・極悪人・凡人?の伝説は存在しますが、彼等が後世に様々な評価が分かれた要因はどこにあったのでしょう。
誰もが生まれた時は同じ生命を授かって産声を上げたはずなのに、あるものは地位や名声や財力を手にし、あるものはその時々の‘法’により犯罪者(時勢によっては英雄になる場合も)になったりするのです。また、現代においても日々こつこつと懸命に働いてきたお父さんお母さん達が、関係のない世相や世界経済・勝手な企業倫理のうねりに巻き込まれてある日突然職を失ったりします。個人個人にはどこまで責任があるのか・・・そう考えざるをえないことがありますね。
 それはそれぞれ個人の運命なのでしょうか?それとも宿命なのでしょうか?
辞書には(概ねですが)
  運命 人間の意志を超越して人に幸、不幸を与える力。運。
  宿命 生まれる前の世から定まっている人間の運命。宿運。
となっており、どちらも似たようなものと思われますが・・・
 今、幸福(経済的・精神的)だと思っていてもある日突然悲劇が襲ってくるかもしれません。それは生命にかかわる犯罪や病気、天変地異による場合もあるでしょう。明日何かが起こることが、それが運命だとか宿命だと・・・考えるのはやはりさみしいですね。結果を見てから後になってそれが運命だとか宿命だったとか言うことは自分はしたくはないな、と改めて思います。きっとそれは私にとって言い訳にしか使われない表現ですから。
 要するに、運命も宿命もどんなに小さなことにでも精一杯の努力を惜しまない<前向きな>人へのご褒美みたいなものではないかと思います。ある場合にはそれは罰となって現れるかもしれません。その姿をその人のご先祖様が温かく時には厳しく見守っていてくれた結果として見えてくるものかと、再確認しました。運命も宿命も決して決まっているものではなく、物事が終息した時点での結果の表れではないかと、思うのであります。運命も宿命も変えるものではなくこれから創り上げていくものなのだと。(かっこいい)
現在の自分に最も欠けている、毎日の努力とご先祖様への感謝・・・これが今回の勝手な結論でした。

先祖の墓の方角に向って両手を合わせて合掌。。。アーメン。。罰あたりかっ!                               by ゴースト



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